病院の歴史について教えてください

祖父の秀彦が1925年に函館駅前で開業したのが始まりです。その後、市役所前(当時の鶴岡町、現在の大手町)に移転しました。1976年に父の敏彦が2代目院長となりました。私が勤務を始めたのは1995年からです。2011年の東日本大震災では大手町の病院が浸水被害に遭ったことから、安心、安全に医療行為を継続できるように、2012年4月13日に石川町に新築・移転しました。その際に2001年に北斗市に開院した「上磯藤岡眼科」も併合しました。

患者さんに対する考え方は

なるべく早く我々医師が、正しく病院を理解し、診断をつけて治療を開始し、早く治すことを心掛けています。そのために最新の検査機器をそろえています。
とにかく医療に嘘があってはならないと考え、医師全員が誠実に加療を行っている自負があります。

院長が提案する病院づくりとは

医療機関は、外面(建物、設備)も内面(医療内容、全スタッフ)も清潔・誠実を心掛けるべきだと考えています。外面に関しては、石川町藤岡眼科の新築開院当初から、隔週で美装業者の専門清掃を入れており、空調設備のフィルター清掃や、ワックスがけなど、新築時から継続し、開院当時に近い清潔さを保っています。

また、医療内容については、最新の医療機器をそろえて、正しい診断を迅速にできるように取り組んでおり、時代遅れの医療内容にならないようbにしています。かといって、最先端の先進医療ばかりにとらわれてしまうと、患者さんの精神的・経済的負担が増える場合があります。当院では、医師と患者さんがよく話し合い、患者さんにとって何が最善の治療方法か考えています。

これからの抱負は

私たち夫婦(院長・副院長)は、100周年を目指して病院経営をやってきたわけではありません。先代が亡くなったその日も予定通りの診察や手術を行いました。毎日毎日、目の前の患者さんの診察を行い、気づいたら100周年の節目を迎えることができました。

次の代の息子と娘が共に眼科医なので、同じような医療への向き合い方で、謙虚に患者さんのために日々の加療を行ってほしいと思っています。当院は長年の勤続者が多くおり、そのスタッフたちには心から感謝しています。

今後もスタッフがやりがいをもって、医療に従事できるような職場環境を整えておくことも重要な使命だと考えています。

地域の皆様に「眼科ならば藤岡眼科へ行こう!」と、言われ続けるようでありたいと思っています。